情けは人の為ならず

私が高校の運動部に所属していた時の事です。

顧問の先生が、『情けは人の為ならず』ということわざの話をしました。

部活中に練習に訪れたお客さんには、顧問の先生であろうと部外者であろうと、
必ず大きな声であいさつをしなさい、という内容の話でした。


先生は部員のひとりに、ことわざの意味を知っているか尋ねました。

「ハイ!人に情けをかけて甘やかすと、その人の為にならない・・・から・・・よくない・・・という事です・・・

とても自身なさげな答えを聞いた先生は、「ニヤッ」と笑いました。

彼が間違う事も、先生がこれからする話の筋書き通りだったのでしょう。

本当の意味は、
『親切は他人の為ではなく、巡り巡って自分に返ってくるものであるから、誰にでも親切にするべきだ。』
ですね。

つまり、情けは他人の為ではなく、自分の為に行う。

それを聞いた瞬間、なんだか利己的な話だな・と少し思いましたが、先生の話は続きます。

「まず、お客さんを最初に見かけた人は、
部員全員がお客さんに気付くように大きな声ですぐに挨拶をしろ。
そして全員で挨拶をするんだ。
次に、お客さん用のイスとスリッパをダッシュで持って行け。
一年生も三年生も関係ない、気が付いた人が真っ先に動くんだ。
それを当たり前の事として毎日部活をしなさい。
それで何か見返りを求めるという事じゃない。
でも、お前たちのそんな行動に一目置いてくれる大人は必ずいる。
そういう当たり前のことを当たり前に出来る人間を、
まわりの大人たちは損得抜きで応援したくなるんだよ。」

我が部は部員も少なく弱小校ではありましたが、挨拶は徹底していました。

今になって思えば、社会に出たことのない高校生だった私たちがどれだけ先生の言葉の真意を理解し行動できたか疑問ではありますが、後々の記憶に残る言葉ではありました。

先生は、三年間に満たない部活動の間だけでなく、それよりもはるかに長い、
後の社会人生活においても大切な事を教えてくれていたのかもしれません。

人に情けをかけるというのは、恩着せがましく何かをしてあげるという事ではなく、人として当然の事をもって人に平等に接するという事なのでしょう。

自分に恩が返ってくるから親切にするというのは打算的ですが、
ことわざの真意は、自分を含めたみんなで計算抜きに親切を循環させていこうという考えですよね。


似たようなお話をもう一つ。

私の出身校ではないのですが、数年前に地元の高校の野球部が甲子園に出場し、そのときインタビューの記事を読んだのが記憶に残っています。

その高校はもともと強豪校というわけでもないのですが、
甲子園に出場する何年も前から、監督の指導が行き届いていていました。

野球の指導も素晴らしかったのでしょうが、私が感動したのは生活面においての指導でした。

例えば、
「君たちが野球に精いっぱい打ち込めるのは、サポートしてくれる親御さんあっての事。何よりご両親への感謝を忘れてはいけない」という教え。

その高校の野球部員たちは、試合の始まる前に必ず、応援に来てくれる父兄の座る観客席を丁寧に拭き掃除します。

試合が終われば応援してくれた皆さんの前に整列し、深々とお辞儀をし、大きな声でお礼を言います。

その後も観客席の掃除。彼らの試合後にはゴミひとつ落ちていません。

こんな生徒たちが甲子園に出場するとなったら、親御さんじゃなくても応援してあげたくなりますよね。

もしかしたら私が知らないだけで、
こんな高校はたいして珍しくもないかもしれません。

ですが社会人になると、そんな当然の事を忘れがちになります。

この記事を読んで、自分の高校時代の事も思い出して感動してしまいました。